エイトシーのオタク語り

エイトシーのオタク語り

行きどころの無いオタクの独り言

初代「ゴジラ」から考える「シン・ゴジラ」の話

 


シン・ゴジラ

 

 

 どうもエイトシーです。

 

 「シン・ウルトラマン」を見に映画館に行ってからすでに結構な時間が経ちました。すでに二度目をいつ行こうか計画中ですが、「ククルス・ドアン」もあるしなぁ…

 

 

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 と言うわけで、今回は「シン」シリーズの最初の作品、シン・ゴジラについてお話ししたいと思います。

 

 ところで、私が「シン・ゴジラ」を観たのはかなりブームが過ぎ去った頃でした。私は基本的にダサダサ☆逆張リストなので、流行り物は一旦遠ざけていました。ただその後見た同作は私の心にグッさりと突き刺さり、私の大好きな映画の一本になりました。

 

 そしてその後、自分の中で映画ブームが再燃し、昔の映画を見たい衝動に駆られ、ついに伝説の映画、初代「ゴジラ」を視聴することができました。そこで、「シン・ゴジラ」についても新たな発見があったので、それについて書き殴りたいと思います。

 


ゴジラ

 

・「巨大不明生物」という原点回帰

 

 私はそれまでほとんどゴジラシリーズを見たことがありませんでしたが、その怪獣の名前だけはもちろん知っていました。それだけ有名な怪獣ですが、それゆえにある弊害を抱えていました。

 

 ズバリ、「怪物としての魅力」です。

 

 言ってしまうと、「ゴジラ」という存在が有名になりすぎたばっかりに、正体不明の怪獣ではなく、ゴジラ」というキャラクターとして扱われるようになってしまったということです。ヒーローになったり「シェ〜!!」ってやったりはその弊害ゆえです。

 

 「シン・ゴジラ」ではこの部分を見事に払拭し、前代未聞の「巨大不明生物」として描き直すことに成功しています。

 

 ただ、実は「初代ゴジラ」に関しては、当然まだキャラクターとしての「ゴジラ」が成立する前の話だったので、純粋に「正体不明の怪物」として楽しむことができました。つまり、シン・ゴジラでは見事に「原点回帰」を果たしているのです。

 

・祈念碑としての作品

 

 初代「ゴジラ」は、怪獣が大暴れし、街を破壊するお話しなのは当然なのですが、もう一つ力を入れていた描写がありました。

 

 それが、「怪獣から避難し、共同で生活を送る人々」です。

 

 初代「ゴジラ」で有名な話として、「ゴジラは原爆の恐怖を具現化したものである」というものがありますが、それとは別の側面として、ゴジラ「人々から見た“戦争“そのものの象徴」であるように描写されていました。

 

 だからこそ、まだ戦争がほんの最近までの日常だった人々にとって、その象徴たる「ゴジラ」の存在はとても鮮烈に、かつ切迫した恐怖として思い起こされていたのだと思います。言うなれば、「ゴジラ」という作品は、直近で起こった戦争の「祈念碑」の意味を持っていたのです。

 

 そして、その「祈念碑」は、「シン・ゴジラ」作中でも見事に表現されていました。現代の東京に現れたゴジラが街を破壊しつくし、人々は核物質の恐怖に怯えながら体育館で避難生活を送る……

 

 つまり、「シン・ゴジラ」におけるゴジラは、3月11日の東日本大震災の象徴なのです。

 

 私たちが「シン・ゴジラ」に対して特別な感情を抱くことができたのは、作中で描写されていた“滑り落ちる瓦屋根“や、“吹き飛ばされ、流される自動車“が、私たち自身にとって初代ゴジラと同じように鮮烈で、切迫した恐怖として記憶されていたからなのです。

 

 

 

 というわけで、今回は初代「ゴジラ」から考える「シン・ゴジラ」の話でした。

 

 

 ……まぁ、目新しい話はほとんど無かったんじゃないか…とは自分でも思います。

 

 ただ、私たちが初代の「ゴジラ」を、ただのキャラクターとして忘れ去り、そして現代再び別の恐怖として上陸したように、あるいは数年後、数十年後、「シン・ゴジラ」が「ただの映画」として忘れ去られる頃に、「ゴジラ」がまた別の形で私たちを襲うかもしれません。

 

 だからこそ、私たちは忘れてはいけないと思うんです。私たちは何度も「ゴジラ」を撃退し、何度でも立ち上がることができたことをね…

 

 

 

 

 

 ……よし、かっこいいこと言えたな…

 

 

 

 

 

 

 

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