エイトシーのオタク語り

エイトシーのオタク語り

行きどころの無いオタクの独り言

「シン・仮面ライダー」を見てきた話

 


【映画パンフレット】 シン・仮面ライダー 監督:庵野秀明 出演:池松壮亮、浜辺美波、柄本佑、西野七瀬、塚本晋也、手塚とおる、松尾スズキ、森山未來

 

 

※本作は本編視聴済みなことが前提の記事なので、本編を見ていない方は、以下の記事へ移動をお願いします。

 

 

 

 

eight-c.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうもエイトシーです。

 

 先日、ついに話題作の「シン・仮面ライダー」を見てきました。

 

 …正直、かなり思うところのある作品だったので、できるだけ時間のたたないうちに感想を一回書いておこうと思います。

 

 ちなみに、全力でネタバレ有……というか、作品を見ていることが大前提なので、まだ見てない方はご注意ください。

 

 しかも、めちゃくちゃなっっがい記事になったので、ゆったりと読んでください……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・前提

 

 内容についてのお話の前に、まず私自身の話を先にしておきます。多分この映画の評価はここで大きく変わると思うので…

 

 まず、私は仮面ライダーをあんまり見てはいません。小学校入学あたりまではちょくちょく見ていて、当時放送されていた「仮面ライダー響鬼」あたりまでは大好きだったのですが、それ以降追い続けることはなく、逆に初代を見てみるみたいなこともありませんでした。そして今回も、特に予習で何かを見るわけでもなく、「敢えて予備知識なしで見に行こ~」ぐらいのつもりで劇場にいきました。

 

 庵野作品は、エヴァは序破Qまでは見終わり、シンゴジとシンウルは結構好きな作品で、割と何回も見ています。

 

・まず率直な感想

 

 

 私のこの映画への率直な感想は……

 

 

 

 

 

 ……決して「いい映画」ではありません……ただ、どうしても嫌いにはなれません。

 

 

 

 

 

 ……なんというか、多分庵野監督が好き放題をやっちゃって、それを誰も止めなかったみたいな映画になっていたように感じます。例えを出すと、映画公開後にパンフレットなどで公開された初期案として出されるくらいで丁度いい……みたいな作品でした。きっと、原典の「仮面ライダー」を知っていれば、ある程度楽しみ方をみつけられるのかもしれませんが、その前提を廃すとただただ不親切で雑な映画が出来上がっているように感じました。

 

 ……が、やっぱどうしても「こんな映画嫌いだ!!!!」とは言い切れない…そうやって捨ててしまうには魅力もある作品だったように感じるのです。

 

 

 ……というわけで、もうちょっと詳細にわたって本作の感想を書いてみようとおもいます。ただ正直ほとんどダメ出しになるような気がするので、「いいやっ!!あの映画は最高傑作だっ!!」という方は気分を害される可能性があるので、閲覧に注意してください。

 

 

・期待値との不一致

 

 まず一番厄介だったと感じたのが、本作を含めた「シン」作品の本当の立場です。

 

 今回で確信しましたが、「シン」シリーズは昔の特撮作品の「現代版リメイク」ではありません。

 

 「リメイク」というのは、昔の特撮の苦しい部分、例えば、「ゴジラ」で言うなら「あのサイズの生命体はそもそも地球の重力に耐えられない」とか、「ウルトラマン」でいうなら「なんで人間はウルトラマンに変身できるの?」とかの当時の甘めの設定を、現代での視聴でも耐えうるリアリティーラインに作り直す作業のことです。

 

 個人的には、シンゴジ、シンウルの二作品に関しては、この「リメイク」もかなりうまくいっていたので、「シン」シリーズは現代版リメイクのように感じることもあります。

 

 しかし、今回はそのリアリティーラインがすこし甘めに設定されている印象で、結局「ハビタット世界」がどういうものなのか、どうして「プラーナ」になった人間を保存可能なのか…という設定細部から、「なんで蝙蝠オーグや蜂オーグのアジトがこんなに堂々としとるねん!?」とか「計画とか堂々言ってて蓋を開けたら戦闘機ダイブからの大爆発ライダーキックかよ!!」という結構大きなものまで…前作で感じていた繊細なリアル化はあまり感じられませんでした。

 

 ……つまり、「シン」シリーズの本質とは現代化リメイクではなく、「庵野秀明印の同人版」くらいの意味づけなんだと私は考えました。リアリティーラインを担保するもしないも、庵野秀明の納得次第で、庵野が納得するならリアリティーなんか別に対した問題ではないのでしょう。

 

 そのミスマッチ…つまり「現代版仮面ライダー」が見れなかったというのも、本作の不満要素の一つではないかと思います。

 

 ……まぁ、現代版リメイクを勝手に期待したのは確かにこっちですが……いや、そもそも仮面ライダーに関わりない人の独自設定を映画化しちゃうのはいかがなんだろう……

 

 

・アクションシーンのレベルの低さ

 

 そして、一番現代化リメイクに失敗している部分が、アクションシーンです。

 

 本作のアクションシーンは、アクション中のカット割りが非常に多く、また部分部分でiPhone撮影による粗めの画質や、大小さまざまな低品質CGなどなど……「ジョンウィック」や「ザ・ファブル」など、見ごたえのあるアクションシーンを持つ映画が数多くある現代においては、ノスタルジーすら感じずらい低レベルに映りました。

 

 あるいは、元になった初代「仮面ライダー」を知る人なら楽しめるアクションシーンだったのかもしれませんが、その知識のない私にはなかなか厳しいアクションシーンに感じました。それにしたって「真っ暗で何をやってるかさっぱりなアクション」とかさすがにまずいと思いますが……

 

 そして、この「質の低さ」が一体何に起因しているのかがわかりずらいのも問題だと思います。つまり、オリジナルの尊重のためにわざとクオリティーをおとしてシーンづくりをしているのか、あるいは予算の都合でどうしてもクオリティーを落とさざるを得なかったのか、もしくは庵野監督の個人的な手癖のせいなのか……例えば、予算の都合のクオリティー低下を忖度してあげるのは多分仮面ライダーとかでは結構あるあるだと思いますが、監督の勝手な手癖やオリジナルの尊重のために見てる側が忖度しなきゃならんのはいかがなもんだろうか……

 

 ただ、もちろんいい部分もありまして、特にライダーキックは毎度毎度かなりかっこよく決まっていました。一撃必殺の強さを感じられる、それでいてリアルすぎもせず、ものすごい高さからかっこよくキックを繰り出してくれるので、いい塩梅になっていると言えるでしょう。

 

 また、敵キャラクター毎にアクションの特徴づけをしっかりおこなっているのも好印象でした。蜘蛛オーグは肉弾戦重視、蜂オーグは刀を用いた高速戦闘、飛蝗オーグ(洗脳状態の仮面ライダー第二号)は仮面ライダーと同等の身体能力を生かした広範囲空中戦闘、そしてラスボスの仮面ライダー零号は自身の圧倒的なパワーを生かした優雅な戦闘……このように、キャラクター毎にちゃんと言語化できる程度にはオーグ毎に戦闘の特徴づけができているので、そういった意味では単調にならない戦闘を楽しめました。

 

 仮面ライダーならではのバイクを用いたカーチェイスのシーンもあるので、本当もうちょっと質が高ければ文句なしだったのに……

 

・キャラクターへの感情移入のしずらさ

 

 では、今度はキャラクターについての話です。

 

 本作はキャラクター、特に主人公「本郷猛」にすごく感情移入がしずらいです。

 

 初代仮面ライダーの特徴として、仮面ライダーに変身する本郷猛は敵組織であるショッカーに改造された怪人であり、本郷はその事実に苦悩しながらもその力を人々のために使う……つまりシンプルなスーパーヒーローとは違い、力に対して思い悩みながら戦っているという部分があります。「仮面ライダーBlack Sun」がどれだけ「変身」という行為への苦悩を描いていたか……

 

 対して本作。仮面ライダーがショッカーによって改造される部分は完全にスキップされ、本郷は改造された事実に対してそこまで大きなショックを受けず、自分の力に対して恐怖するのも最初の20分ほどで、また自分の弱さを分かりやすく克服するようなシーンも無く、ただ淡々と敵怪人を倒していくだけの存在になってしまいます。

 

 しかも、本郷本人のパーソナルな部分はほとんど明かされず、序盤で「頭脳明晰、スポーツ万能だがコミュ障」であることが述べられたのみで、「警察官である自分の父親が殺されてしまった」というバックボーンすらも後半になるまで明らかにされません。これによって、主人公である本郷猛に感情移入が難しくなっています。

 

 ……私、今作で気づきました。庵野監督、感情移入をさせるキャラクターを作るのが苦手ですね。

 

 今思い返すと、シンゴジでは明確な主人公を持たないことで、現代日本ゴジラが登場するリアリティーを持たせる意味を生んでいました。シンウルでは、異星人で感情の起伏の少ないウルトラマンを主人公にし、感情移入部分を浅見君や滝君で担保することで作品として成立させていました。対して今回、明確に「本郷猛」という人間の主人公を作中に登場させた結果、何のシナジーも生まずただ感情移入のしずらい主人公が誕生してしまったんだと思います。正直映画を見ながら、「……こいつ本郷というかウルトラマンっぽいな……」と感じた部分が結構ありました。もしかして監督が感情豊なキャラつくると全部シンジ君になっちゃう?……

 

 じゃあ他のキャラクターはどうだったのかと言いますと……ルリ子さんはなんかロボットっぽいし、ラスボスのイチローも淡々としてるし、ほかのオーグたちも思惑や目的がわかりづらいので、やっぱり私たちが感情移入できるキャラがいません。唯一隼人はかなり軽妙な口調で楽しげでしたが、バックボーンが薄いのでやっぱりやっぱり感情移入は難しく、物語に入り込みずらかったんだと思います。

 

・既視感

 

 さてさて、さっきのキャラクターの部分にもちょっと出てきましたが、ずばり今作、異様に「エヴァンゲリオン」っぽいです。これは「シン」シリーズ全体を通しての特徴ですが、今回は如実に出ていました。

 

 まず緑川ルリ子、前半は主人公を穏やかながらもきびしい口調で叱咤激励し、後半からは感情薄味キャラクターをだしつつちょっとわがままな部分も顔を覗かせ始める……はい、ミサトさん綾波とアスカを全部ごったまぜにしたみたいなヒロインでした。

 

 ここもキャラクターのブレのように見えますが、これは「感情薄味女子が感情をとりもどす」という萌えっぽい演出をされているので私は受け入れられました。

 

 ……問題なのは本作特有かつ根幹にかかわる設定である「ショッカー」、「緑川イチロー」、「ハビタット計画」がどうもエヴァ過ぎることです。本作を見なくても、それぞれ「ゼーレ」、「碇ゲンドウ」、「人類補完計画で完全に置き換えてしまって問題ない程度には共通点があると思います。

 

 特に、組織としての「ショッカー」の目的と、イチローが計画する「ハビタット計画」が別に統一された目的じゃない部分が、エヴァンゲリオンにおいて「ゼーレ」が計画している「人類補完計画」と、碇ゲンドウが考えている「人類補完計画」にすこしズレがある部分にとても酷似していると思います。

 

 ……まぁ、ここは監督の手癖と考えればしょうがない部分なのかな~とは思いますが、それにしたってちょっと似すぎというか……もうちょっと敵組織の手の内のバリエーションなかったのかな……と感じてしまいます。

 

 

・設定洪水

 

 庵野作品の特徴として、様々な設定を洪水のごとくぼかすかと観客に浴びせる「設定洪水」があります。これが気持ちよくぶつけられるシーンは庵野作品独特の快感を得ることができます。

 

 本作でも、犯罪者などの幸福を実現しずらい人々の幸福を追求する「ショッカー」の設定や、動物、昆虫と人間を融合した「オーグ」の設定、そして「プラーナ」や「ハビタット世界」の設定など、前作よりはるかに設定洪水的な部分が多くあり、そこに関しては結構癖になりました。やっぱ「プラーナ強制排出装置付き初期型」はかっこいい……

 

 ただ、やはり今回はリアリティーラインを少し下げた影響か、「プラーナ」や「ハビタット世界」などの抽象的すぎるキーワードが多すぎるように感じました。シンウルの「ブランクプレーン」までだったらノーラン作品的なSF設定としてギリギリ飲み込めたんだけど……

 

 …何というか、あまりにプラーナ周りの設定が応用されすぎていて、ミノフスキー粒子」的な強引さすら感じてしまいました……

 

・ヒーローとしての歪さ

 

 そして、映画を見終わった今、最も疑問が残っている部分があります。それは、「正義の味方」としての仮面ライダーの描き方です。

 

 あえてはっきり言いますが、今作の仮面ライダーは正義の味方ではありません。

 

 今作で戦っている本郷猛の目的は、あくまでも緑川博士から託された娘ルリ子の保護であり、終盤ルリ子の死によって初めて、彼女の思いである「ハビタット計画≒人類補完計画の阻止」を目的とします。つまり、今作の仮面ライダーは、決してショッカーの被害に遭う我々一般的な人類を救うことを目的としていないのです。

 

 ……というかそもそも、この作品には所謂「一般人」はほとんど登場しません。唯一蜂オーグが自分達の根城の周辺の住民を隷属化させていましたが、それ以外のオーグたちが具体的に人類に危害を加えている様子はほとんど描かれていません。

 

 確かに、近代の仮面ライダーは意外と「正義の味方」ではありません。例えば「BlackSun」では主に自分の主義、思想と、ある一人の女の子のために戦う仮面ライダーを描きましたし、「アマゾンズ」では怪人、人間に限らず守りたいもののために戦うライダーと、義務のために戦うライダーの二人が描かれました。

 

 ……しかし、それでも原点である初代の仮面ライダーには、普通にくらす人々のために戦って欲しかったのです。おまけに、前作シンウルのウルトラマンがあそこまで人間を愛し、人間のために無償で戦ってくれているので、より一層「正義の味方でない仮面ライダー」が引っかかってしまうのです。

 

・仮面と変身

 

 ちょっとあんまりいいこと書けてないのでいいこと書きましょう。

 

 本作の仮面は、かなりいい使われ方をしてると感じました。本作で、「仮面」は「変身」を表す重要なアイテムとして使われていました。

 

 公開前から、本来仮面ライダーの仮面は怪人としての顔を隠すための仮面だという論説がチラチラと見られました。今回それは正解で、本郷は仮面で怪人としての顔を隠していました。さらに、このマスクは人間の生存本能を刺激し、先頭に対する罪悪感を軽減する機能がつけられていました。つまり、この仮面は怪物としての顔を隠すための仮面であると同時に、弱い人間的な部分を隠すための仮面でもあるのです。そしてラストシーン。本郷はプラーナとして仮面に固定されてしまい、その仮面を一文字がつけるようになります。この時点で一文字は、本郷の意思を継ぎ、本当の意味でヒーローとして「変身」したことになると思うのです。これは、一文字の口癖である「〜になったことにする」…つまり、自分が変わろうとしているセリフからも取ることができます。これがつまり、パンフレットなどでたびたび書かれていた「変わるもの、変わらないもの、そして変えたくないもの」という言葉の意味なんじゃないかな……

 

 

・「力」とその使い方

 

 そして、今作で私が最も好意的に印象に残っているのが、巨大な力を持つことと、それを正しく使うということをちゃんと描いていた点でした。

 

 仮面ライダーの力は基本的にショッカーと同じ怪人の力です。なので、序盤では血飛沫の飛ぶ、グロテスクな戦闘シーンを隠さず描写し、力そのものの恐ろしさを描写していました。そして、その後に「力を持ちながら使わなかった」自分の父親を描くことで、「力を持ちながらその力を正しく使う」という、仮面ライダーとして最も基本的な部分をしっかりと描き直していたので、そこはとてもよかったと思います。

 

・「庵野秀明」はどこにいたのか?

 

 最後に、この作品を庵野監督はどう思っているのかを推測ってみます。

 

 例えば「シン・ゴジラ」、庵野監督にとってそこまで思い入れのある作品ではなく、あくまでも自分にできる全力のアレンジを投入して作品を完成させていたように感じます。そして「シン・ウルトラマン」、自分がウルトラマンになることを考えて、それに相応しい舞台とストーリーを考えて映画を作っていました。

 

 そして今作、庵野秀明監督は何となく「スクリーンのこちら側」にいるような印象を受けました。

 

 つまり今作は、庵野監督が幼少期にテレビ越しに見た仮面ライダーを再現することに何よりも重きを置いていて、そのためにさまざまな良い部分、悪い部分が生まれているんじゃないかな〜……ということです。だから最新の美麗な画質はいらない、画面が真っ暗で何も見えなくてもいい、ライダーキックはインパクトがなきゃいけない、どうせならロボット刑事イナズマンキカイダーも出したい……そんな無邪気な思いつきだけで本作は出来上がっているような気がしました。

 

 それが決していいとは言いません。結果として出来上がったのはぶん投げで雑さの目立つ映画でした。それでもやっぱりこの映画を嫌いになれないのは、この映画からは「とにかく仮面ライダーが大好きだ〜〜」という直向きな愛情を感じたからだと思います。そして、その愛情を汲むことのできる同じマニアならきっといい評価をできるのでしょう。オタクの端くれとしては、その高みに憧れを持つ一方、それでもあの映画を手放しに高評価しちゃうのは……と複雑な心境になってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 というところで……ながーくなりましたが、以上が私の「シン・仮面ライダー」を見た話になります。

 

 きっとまたいつかこの映画見るんだろうな……その時までにはもうちょっと「初代仮面ライダー」の知識を深めて、もうちょっと庵野監督と同じ目線に立って映画を鑑賞できるようになってみたいと思います。

 

 

 

 

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