エイトシーのオタク語り

エイトシーのオタク語り

行きどころの無いオタクの独り言

もはや必修科目 「1984年」の面白さの話


一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 どうもエイトシーです。

 

 私は私生活であんまり活字を読まない方で、ある時それを危惧して何冊か小説を買い込んで読んでいました。その中の一冊「1984年」が結構私の心に残る作品でした。ちょっと前に映画版の話もしましたね。

 

 

eight-c.hatenablog.com

 

 というわけで、今回は原作版の「1984年」がどうすごい小説なのかをお話ししたいと思います。

 

 

 

 

 

 

※ネタバレ注意です

 

 

 

 

 

 

 

・ざっくりとあらすじ

 

 主人公ウィンストンはオセアニア(現在のイギリス)という独裁国家で生活をしています。この国では「ビッグブラザー」と呼ばれる独裁者とその党が圧倒的な権力を有しており、全ての国民は「テレスクリーン」と呼ばれる、テレビとマイクがついたような機械で監視され、少しでも党に不満を言うと反逆者として処刑される……というディストピア小説の金字塔です。

 

 

 

・圧倒的な「ディストピア

 

 この作品の一番の特徴は、やはりその圧倒的なディストピア描写にあります。

 

 本作の世界では、国民一人一人がガッチガチに管理されながら生活をしていて、一部の熱狂的な国民によって相互に監視させることで、その管理を完璧なものにしています。また、行動だけではなく個々人が抱く思想に関しても管理がなされます。ビッグブラザー(独裁者)を非難することはその思想すらも罪になります。子供は生まれた瞬間からそのような教育を施され、ほんの遊感覚で「お前思想犯罪者だろ!!」と周りに言って周る……かなり最悪な部類のディストピアです。

 

 このように、この作品は「ディストピア」の代表的な作品として有名であり、メタルギアソリッド」や、「アップル」のCMなどのさまざまな作品で引用されています。

 

 そして、そんなディストピア描写の中で、最も私が特徴的だと思ったのが、「ニュースピーク」についてです。

 

 

・「ニュースピーク」とは

 

 「ニュースピーク」とは、本作中でオセアニアで英語に代わって標準語とされつつある新言語です。

 

 この言語の一番の特徴は、作中で「年々語彙が少なくなっていくこと」と語られています。

 

 具体的には、「良い」という単語に対して、より良いことを表す「より」、「さらに」、「とても」などの強調語が全て撤廃され、「+4」とか「+3」などで表されるようになりました。

 

 「とても良い」 → 「+3良い」

 

 となります。さらに、「悪い」という単語はそもそも全て撤廃され、全て「良くない」という表現に置き換えられました。

 

 このように、徹底的な合理化が図られいる言語ですが、その真の目的はさらに深いところにあります。

 

 この言語でさらに削られた言語が、「自由」、「平等」、「人権」などの言語です。この言語そのものを奪うことによって、これらの単語を”思考”することすらできなくなっていくということです。つまり、より強固な支配体制を作ることを目的として、この言語は作られているのです。

 

 そういえばメタルギアでも、ルーマニアの思想家のある言葉が語られています。

 

 「人は国に住むのではない。国語に住むのだ。国語こそが我々の祖国なのだ」

 

 

・2 + 2 = 5

 

 もう一つ特徴的なのが、ダブルシンクという思考法です。

 

 これは、ある”事実”が党の伝えたい”真実”と異なっていた場合に、その事実を忘れ去り、真実のみを信じることができる。しかし、その事実を思い出す必要があれば、ちゃんと思い出すことができる……わかりにくいので具体的にしましょう。

 

 2+2=4というのが本来は事実なのですが、党がもし「2+2=5だ」と言えば、それを信じることができる。しかし、必要に応じて「2+2=4」という事実を思い出せる……という、かなり人間離れした思考法です。

 

 これは、党の公式発表を捏造するウィンストンにはとても重要な思考法で、自分が公式情報を書き換えているが、そのことをちゃんと忘れ去り、自分が捏造した真実を信じることができる思考法なのです。

 

 完璧に人間離れした思考法で、一種の気持ち悪さも感じます。このように繊細な「気持ち悪さ」を表現しているからこそ、この小説は金字塔として語り継がれているんだと考えています。

 

・「希望はプロレの中にある」

 

 ここまでかなーり暗い雰囲気でしたね。いや作中ずっとそうなのでしょうがないのですが、まぁその中で一箇所だけ希望のある話があるので、そこの話もしましょう。

 

 作中ウィンストンは、「希望があるとすれば、プロレの中にある」というふうに語りました。

 

 「プロレ」とは、党の支配も必要ない、国民の85パーセントを占める労働者階級のことです。

 

 ウィンストン曰く、党を内部から破壊することはできないが、プロレが団結して目覚めることができれば、陰謀も必要なく、明日の朝にでも党は崩壊する…と考えています。

 

 つまり、どんな圧政に対しても、大多数派が「NO」を突きつけることで、如何様にでも世界を変えることができるというメッセージです。

 

 

 ちなみに、本作に付録としてついてくる「ニュースピークの諸原理」という本は、全て過去形で記述されています。本作のようなディストピアでも、人々が団結すれば全てを過去にすることができるのかもしれません。

 

 

 

 

 というわけで、今回は「1984年」についての話でした。

 

 本作は、単なる恐ろしきディストピアの示唆以外にも、ちゃんと魅力のある作品になっています。社会情勢が不安定になる度本作の売りああげは伸びるそうです。いつか、単なる古臭いフィクションとしてこの話が笑い飛ばせるといいですね。

 

 

 

 

 

 

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